この日、男子立位で優勝した小池岳太(LW6-8-1)は、このレースを最後に現役を引退した。
女子立位で優勝した本堂杏実(LW6/8-2)は、2030年へ向けた再出発となる滑りを見せた。
そして、前走者を務めた15歳の新美想真(左足欠損)がいた。世代も立場も異なるパラアルペン・スタンディングクラスの3人の姿は、現在の日本競技環境の課題と、次世代への方向性を浮き彫りにした。

3人に共通するのは、「オリンピック・パラリンピックの一元化による競技環境」構築の必要性である。
小池岳太の引退に刻まれた「環境」への問い
トリノ2006からミラノ・コルティナ2026まで、ちょうど20年間・6大会に日本代表として出場した小池岳太(JTBコミュニケーションデザイン)は、この日をもって第一線を退いた。引退の決断の背景にあったのは、国際舞台で再び対峙したロシア勢の圧倒的な滑走だった。ライバルの技術、スピード、ライン取り――その差を「異次元」と表現し、自らの限界を見据えたという。

それでも小池は最後まで、「1センチでも内側を通る」ことにこだわり続けた。競技者としての探究心は、引退の瞬間まで途切れることはなかった。
一方で、より深刻な危機感として小池が語ったのは「育成の問題」である。今大会で男子の出場は自身のみだった。「次世代の不在」は構造的な課題として突きつけられている。打開策として小池は「健常者のトレーニングに参加していくべきだ」と指摘する。荒れたバーンや実戦的なセットは、現状のパラ単独の環境だけでは十分に得られない。「分けられた環境」では競技力の上限が見えてしまう、というのが彼の認識だ。


長野県岡谷市出身、横浜市在住の小池は、引退後は「恩返し」の活動として地域に根ざした育成とともに、パラと健常の垣根を越えたトレーニング環境の構築に関わる意志を示している。小池の言葉を単なる個人の総括に終わらせず、長年の経験をこれからの日本の競技体制へと活かしていくことが重要だ。
本堂杏実が直面する制度と競技レベルの変化

本堂杏実(コーセー)にとって、ミラノ・コルティナ大会は「忘れたい」と語るほど厳しい結果に終わった。しかし、その評価を感情に留めず、すでに次のサイクルへと移行する覚悟で本大会を滑り終えた。
背景にあるのは、2022年6月の国際スキー会議総会でパラアルペンの大会運営がIPCからFISに移行され、競技環境の構造変化である。世界の競技運営が健常者の枠組みに組み込まれることは本堂にとって望ましいが、同時にコース設定は年々高度化している。健常者の競技に近づく中で、技術的要求も急速に引き上げられている。
この変化に対応するため、本堂も健常者チームとの合同トレーニングを強く望んでいる。滑走量、競技密度、そして「見ることによる学習」――いずれも競技力向上に不可欠な要素だ。
しかし現状国内では、パラチームとしての制約があり柔軟な選択を妨げている。競技力を高めるためには、スタンディングクラスとして最適な環境を、パラだけでなくオリンピック、デフリンピック、知的障害も含めた「立位=足裏の感覚」で滑るアルペン全体で考え制度設計、競技環境の効率化を行う必要がある。
日本のアルペンスキー史上、オリ・パラ(立位クラス)通じてメダルを獲得したのは、オリが猪谷千春(1956年コルティナダンペッィオ)、パラは東海将彦(2006年トリノ)のみで、ともにイタリアでの銀メダルである。設備や環境をオリ・パラで共有し、考えていく必要があるのではないか。

本堂はいま、ボクシングを取り入れたクロストレーニングに活路を見出している。上半身と体幹の強化を通じて、滑走の安定性と攻撃性を高める試みをさらに強化していく。このような他競技の要素を取り込む“二刀流”的アプローチは、多くの選手のあいだでも限界突破への一つの戦略となっている。
目標は、次の世界選手権でのメダル獲得。女子立位では前例のない領域への挑戦である。
新美想真が体現する「最初から共に育つ」環境

15歳の新美想真は、次世代の可能性を象徴する存在だった。生まれつき右脚と右手指の一部に欠損を持ち、夏は水泳、冬はスキーに取り組む。本大会では年齢により競技には参加できず、前走者(フォアランナー)を務めた。
彼の最大の特徴は、育成段階から健常者・障害者の両方の環境で競技に向き合っている点にある。分離された特別な場ではなく、同一のフィールドやパラリンピック攻略に特化した場でも経験を積んでいる。それらが技術だけでなく、競技観そのものを形成しているといえる。
ミラノ・コルティナパラリンピックの海外選手も見られたように、複数競技にまたがるアスリートの存在は、日本のパラスポーツにも新たな可能性をもたらしている。新美さんの歩みは、その流れを体現するものと言える。
ここでも、2030年のフランス大会を見据えたあらたな挑戦がすでに始まっていた。
日本で「分けない」環境を制度として実装できるのか?
ミラノ・コルティナ大会でイタリアが示したのは、インクルーシブの理念だけではない。制度としての「オリ・パラ一元化」の成果である。イタリアでは軍や警察のスポーツ組織を基盤に、障害の有無を問わず同一の環境で育成・強化が行われている。

日本でスポーツの発展を阻む制度や法律があれば、そこを改善していくことが第一歩ではないか。これは単なる理想論ではなく、競技力の裏付けを持つ実践への提言である。
日本では、依然として個人の努力に依存する側面が強い。競技力の低迷は個人の問題ではなく、「オリ・パラ一元化」を国の環境設計の問題として捉える必要がある。アルペン・スタンディングクラスに限らないことだ。

また、中国やオーストラリアなど世界各地でパラアスリートの指導経験を持つ伴一彦コーチは、「菅平にはパラリンピックに向けた恵まれた練習環境がある」と語る。そして「(東海将彦のようなメダリストを輩出するためには)菅平で足りない分を補う必要がある」とも指摘している。つまり、日本のパラアスリートには、自国の健常者と共に練習するだけでは不十分であり、これまでの繋がりを生かして海外のアスリートと日常的に競い合える取り組みが必要だ。育成・強化・教育・地域スポーツの各領域を横断する設計が求められている。国レベルでの制度化に向け、4年後を見据えて今すぐ取り組む必要があると感じた。

小池の引退に込められた問い、本堂が直面する制度的壁、そして新美が自然に実践する新しい環境——野沢温泉の雪上で交差したこの3つの軌跡は、日本のスポーツが次に進むべき方向を具体的に示している。
それはもはや、スポーツに限らない。教育・芸術など「分けない」ことを理念で終わらせず、文化の豊かさに必要な環境改善として実装できるかという問いである。






