
レース前の取材のために聞いたポッドキャストのなかで、イタリア人選手ジュゼッペ・ロメーレ(Giuseppe Romele)は「僕が住む地方の方言では、『恐れるものなんて何もない』というのを『Mai(マイ)pora(ポーラ)』と言うんだ」(標準イタリア語では『Mai(マイ) paura(パウーラ)』)と語っていた。

2026年の冬季パラリンピックに、イタリア代表として参加し、クロスカントリーで銅メダルを獲得したロメーレは、「両側大腿骨低形成症」という非常に稀な先天性の病をもって生まれた。生まれつき両足の大腿骨の発育が不全で、いまも車いすで生活を送っている。それでも、「恐れるものなんて何もない」と語る心の強さは一体どこから来るのだろうか、取材ができたらぜひとも聞いてみたいと思っていた。冬季パラリンピックから2ヶ月の横浜で、スイム・バイク・ランの3種目のタイムを競うトライアスロンに出場するときいて、取材に駆けつけた。


レース当日は、スイムが終わり、彼がバイクへと乗り換えるトランジションのゾーンで、やって来るのを待ち構えていた。彼は、車いすで移動してくると、車いすから降り、大の字で寝そべった。間髪入れずコーチがスイムスーツを手前に引っ張り抜き去ると、次の瞬間には、サングラスをかけ、バイク用のヘルメットを被り、トランジション・ゾーンを出て行った。パラトライアスロンの観戦は初めてで、何が起こるのか心の準備がなかった僕には、文字通りあっという間の出来事だった。この時に撮影した動画を後になって見返すまで、何が起きたのか良く分からなかった。レース中にロメーレを見たのは、この瞬間だけだった。



ゴールを通過し、メディアが取材するゾーンに近づいてきた彼を改めて見てみると、スイムの場面でもバイクの場面でも、力強さを発揮する原動力になるのだろうその二の腕には筋肉が盛り上がっていた。また胸板の厚さにも驚かされた。何もかもに圧倒されていたが、この場面を逃してしまったらインタビューの機会は無くなってしまうと思い、意を決してコーチとレースを振り返っていたロメーレに話しかけた。
息を切らしながら取材に応じてくれたロメーレに2つ3つ質問を投げかけたあと、この後ゆっくりインタビューをさせてもらえないかと依頼を伝え、連絡先を交換した。しばらくしてメッセージを送ってみると、さっそく返信があり、「昼食に出かける前の12時に滞在先のホテルのロビーに来てくれたら、インタビューに応じるよ」という返答をもらった。僕は、横浜銘菓を手土産にホテルに向かった。

インタビューが始まると、さっそく本題にはいった。「あなたの心の強さや勇気は、一体どこから来るのでしょうか。 あなたはどのような家庭や環境で育ったのでしょうか」というのが僕の第一声だった。
すると彼は、「それでは子供のころの話から始めましょう」と言って、はっきりした口調で話し始めた。ロメーレは、北イタリアの湖畔にある小さな町で育った。生後2か月で大きな手術を受けたが、2歳になる頃には手だけで「ハイハイ」をして家中を歩き回っていたという。「何でもやりたいことをやりなさい」と言ってくれる両親のもとで育ったことが幸運だったと彼は語った。近所の友達と遊んだり、時には湖で泳いだりして、彼は元気に育った。「トライアスロンの種目には水泳があるけれど、小さな頃から湖で泳いでいたから、水泳が一番得意なんだ」とロメーレは言った。
イタリアは、1970年代に特別支援学級や特別支援学校を廃止し、フルインクルーシブの教育を行っている国だ。ロメーレも、当たり前のように健常の友達と同じ教室で一緒に学び育った。イタリアの教育制度では、障害が認定された子供には「支援教師」とよばれる教師が加配される。ロメーレの場合も、学校生活を通じて、いつも支援教師が配置されていて、とくに校内の移動などの場面で支援を受けてきたという。
その支援教師がよく体育館に連れて行ってくれ、あるときジャベリックスローに挑戦させてくれた。「投げるのは初めてだったけれど、なんと僕は1回目から40メートルもターボジャブを投げたんだ」ロメーレは懐かしそうに、そして誇らしげにそう語った。
「僕はよく『学校でいじめられたことはなかったの』と聞かれるけれど、それだけ力が強かったから、『いじめられたことなんて一度もなかった』と答えているよ」と彼は語った。ロメーレは、小さな時からあらゆるスポーツに挑戦し、好成績をおさめていたそうだ。
語ってくれたたくさんのエピソードのなかで興味を引かれたのが、彼が通っていた地元クラブのことだった。そこには健常の子供たちはもちろん、ダウン症の子供たち、身体に障害のある子供たちなど誰もが一緒に通っていたという。そのクラブというのは、テニス、アーチェリー、水泳、クロスカントリースキーなどあらゆるスポーツの機会を与えてくれるクラブだったそうだ。障害の有無を問わず、誰もが地域の同じ学校に通うイタリアだからこそ、こうしたスポーツクラブが存在するのだろう。
「いつでも水泳やスキーができる自然が身近にあって、『なんでも好きなことをやりなさい』と言ってくれる両親がいて、そして家の近くにはどんなスポーツにも挑戦できる環境が整っていた」そして、「大人から子供まで、様々な年齢の人が一緒にスポーツをしていたので、もちろんすごい記録を持っている選手も近くで目にしていた。だから、そうした選手に少しでも追いつこうとして、たくさん練習を積んできたんだ」と彼は話してくれた。
たとえ大きな障害を持って生まれてきたとしても、ロメーレは、地域社会のなかで、家族や友達やライバルに囲まれながら様々なスポーツに挑戦し、互いに切磋琢磨し、自らを鍛え上げてきたのだ。ホテルのロビーでの取材を終えたのち、仲間の選手たちに囲まれて、輪の中心で朗らかに笑い声をあげているロメーレを見ていると、『Mai(マイ) pora(ポーラ)』(「恐れるものなんて何もない」)と語ってきた彼の強さの理由が、なんとなく分かる気がした。

(写真・黒澤こと美、山下元気、秋冨哲生、そうとめよしえ 校正・佐々木延江)






