公開: 2026年3月20日 at 23時30分 — 更新: 2026年3月21日 at 3時55分

【ミラコル記】(第5話)学校もスポーツも、ともにインクルーシブ社会を育むために、オンライン対談

知り・知らせるポイントを100文字で

アルプス、ドロミテ山脈に囲まれたコルティナ・ダンペッツォ。現地時間3月14日午前4時(日本時間12時)。「教育」と「スポーツ」をめぐる対話が始まった。

コルティナのパラフォト取材ベースキャンプから見える、ドロミテ山脈 写真・中村 Manto 真人

選手たちが一瞬にすべてを賭けるレースが続く中、取材の合間に私たちはコルティナのベースキャンプから日本とつなぎ、30分のオンライン対話を行った。

参加したのは、イタリアのインクルーシブ教育を研究してきた大内先生、横浜松風学園(横浜市健康福祉局)の江原顕氏、そして現地(筆者・佐々木、カメラマン・中村真人)とリモートのパラフォトメンバー(田中勝吾、川村翼)である。

3月14日、イタリアのインクルーシブ教育の研究者・大内紀彦(おおうちとしひこ)先生と、パラフォト取材班で「教育」とス「ポーツの」のインクルーシブ連携を語り合った。 写真はzoomミーティングより抜粋

「どんな教育を受けてきたか」を聞く?

きっかけは、取材中の何気ないやりとりだった。
「イタリアのアスリートに、どんな教育を受けてきたのか聞いてみてほしい」
大内先生のその一言に、はっとした。

パラリンピックのミックスゾーンでは、レースの内容やコンディションを問うのが常である。そこから競技の本質が見えてくるのは間違いない。
しかし、その選手がどのような教育環境で育ってきたのかが問われることはほとんどない。
海外のメダリストに教育について尋ねることは、個人の背景を知るためにとどまらない。それは、文化や社会環境の違いを超えて、競技力の形成を考える一つの指標となり得る。
とくに「障害のある子どもが学校体育にどのように参加できているか?」という点には、その国や地域でどのように「共に生きる社会」を構築しているのかが現れるはずだ。

スノーボード日本代表、小栗大地と小須田潤太。スノーボードクロスの会場で 写真・中村 Manto 真人

もちろん、競技力は教育環境だけで決まるものではない。家庭環境や経済状況、地域の支援体制など、さまざまな要因が重なり合って結果につながる。
それでもなお、教育環境には多くの共通項がある。

日本では特別支援学校、学級など教育現場で障害の有無により教育を分けている。多くのスポーツ指導者も障害者を指導することはない。しかし、分けない国で、実際分けない体育教育をするとき、ルールを変えて行う必要がある。どのように進めているのだろうか。

現場で見えた「社会の輪郭」

実際にスノーボード競技取材の現場で、イタリアの金メダリストに声をかけてみた。
返ってきたのは、競技の話でも教育制度の説明でもなく、その選手が生きてきた社会そのものだった。

元オリンピアンのスノーボーダー、Emanuel Perathoner(ITA)は、スポーツ専門校に通いながらも、競技を続けるために5年間、レンガ職人として働き続けたという。イタリア陸軍のスポーツグループに加入し、初めて競技に専念できる環境を得た。

スノーボードEmanuel Perathoner、金メダルの表彰式で 写真・中村 Manto 真人

その後、北京2022オリンピックを目指したトレーニング中に大怪我を負い、左膝の大手術を経て今回のパラリンピックに復帰、金メダルを獲得した。

スポーツの背後には、必ず教育と社会のあり方が控えている。
その当たり前の事実を、現場であらためて突きつけられた。

イタリアの学校は「社会をつくる場」である

大内先生の意見として印象的だったのは、イタリアにおいて学校とは、インクルーシブな社会をつくるための場であるということ。
1970年代以降、イタリアは分離教育をやめ、障害のある子どもも地域の学校で共に学ぶ仕組みへと転換してきた。それは単なる教育制度の変更ではない。
精神病院や隔離施設の廃止とも連動し、「誰も排除しない社会」を前提に制度が再構築された結果である。

体育の授業も例外ではない。障害のある子どもが参加することを前提に、ルールや内容が調整される。
そこでは「できるかどうか」ではなく、「どうすれば一緒にできるか」が問われている。

一方、ミラノ市議会議員のAlessandro Giungi氏は、「体育が分けられることはないが、障害に応じた指導は十分ではない」と語る。それはイタリア社会の現状であり、同時に課題でもある。

ミラノ市議、インクルーシブ社会の構築に関心高く活動する、Alessandro Giungi氏 写真・中村 Manto 真人

日本の現在地

一方、日本ではインクルーシブ教育が掲げられながらも、現実には支援学級や特別支援学校など、分ける仕組みが制度として整えられてきた。

教育の先にある社会や就労の場においても、分断は連続している。
江原氏は福祉の現場から、「人権をどう考えるか」という問いが、教育・福祉・スポーツすべてに通底していると指摘する。

交わらない二つのインクルーシブ

浮かび上がったのは、教育とスポーツの間にある対話の距離である。
両者は同じ「インクルーシブ」を掲げながら、別々の文脈で並行して進んでいる。
パラリンピックは社会に大きな影響を与える一方で、出場できる選手が限られるというエクスクルーシブな側面も持つ。

Giungi氏は「オリンピックとパラリンピックを分けるべきではない」と語る。
しかし、その理想と現実の間にある矛盾は、容易には解消されない。

それでも、つながる可能性

それでも、スポーツには可能性がある。
言葉がなくても、同じ場に立ち、身体を動かすことで、人は関係を共有することができる。
わずか30分の対話ではあったが、教育、福祉、スポーツを横断する視点の必要性が明確になった。

コルティナからの問い

レースが終わり、雪面が静けさを取り戻すころ、この対話の余韻が残っていた。

1、スポーツは何のためにあるのか。
2、学校は何を育てる場所なのか。
そして、インクルーシブとはどのように社会に実装されるのか。

コルティナのベースキャンプから始まったこの問いは、これからも続いていく。

(この記事は、2026年3月14日、パラフォトLIVEによる記録をもとに作成した)

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