公開: 2026年10月23日 at 11時54分 — 更新: 2026年10月24日 at 8時11分

【インタビュー】日本代表選手団団長・三阪洋行氏~アジアパラの手応えと「シン・車いすラグビー」の幕開け

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日本代表選手団団長で元車いすラグビー日本代表の三阪洋行さんに単独インタビュー。自国開催のアジアパラ競技大会の成功、そして車いすラグビーのアジア普及への思いについて語ってもらった。

自国開催のアジアパラ競技大会は後半戦に入り、各競技で日本勢の活躍が続いている。

日本代表選手団団長として大会を支える三阪洋行氏は、2023年にアジアパラリンピック委員会(APC)の理事とアスリート委員長に就任。2025年には、日本パラリンピック委員会(JPC)の委員長に就任している。

自国開催のアジアパラ競技大会の成功実現に奔走する一方、元車いすラグビー日本代表としてアジアでの車いすラグビー普及にも力を注いできた。

今大会の日本代表選手団団長としての手応え、そして車いすラグビーの未来について話を聞いた。

今大会の日本代表選手団団長を務める三阪氏 写真・丸山裕理

アジアパラ競技大会も半分を過ぎました。団長から見た印象や感想を聞かせてもらえますか。

(三阪)どの競技も毎日のように活躍して、金メダルも獲得しています。選手自身が本来の実力をしっかり発揮している一方で、やはり自国開催のアドバンテージもある。時差のなさや応援の大きさも含めて、さまざまな環境要因が日本にとってプラスに働いている。やりやすい環境の中で競技ができていることも、結果につながっているのかなという印象を受けています。

3年前からAPCのアスリート委員になった背景には、アジアパラ競技大会への思いがあったと聞いています。

(三阪)もともとAPCのアスリート委員に立候補したのは、日本がアジアパラ競技大会のホスト国になることもあって、「アスリートの声をしっかり組織に届けていくことが重要だ」というミッションを持っていたからです。その後もアスリート委員長や理事という立場になる中で、APCや組織委員会の皆さんともかなり近い距離で対話できたことが、この役職に就いて一番よかったことの一つです。

今回は選手村を分散させた形での開催ですが、特にパラの大会では、アクセシビリティやバリアフリーの問題が出てきます。
宿泊環境に何が必要なのかをしっかり届けられたことは、一つ大きな役割だったと思います。

三阪さん自身がパラアスリートだからこそ、届けられる声も大きそうですね。

(三阪)また、いくつかの競技では、アジアパラを通して大きな大会に参加できる環境を目指している国もたくさんありました。「そうした国々にとって、このアジアパラを一つの目標にできるような大会にしたい」。そういう意味での支援も、この立場だからこそ貢献できたんじゃないかなと思います。

大会期間中は1日に4~5競技と忙しく回る日本代表選手団団長。選手たちの応援や運営の支援に奔走する 写真・中村 Manto 真人

三阪さんは、車いすラグビーのアジアへの普及にも奔走されてきました。

(三阪)APCやJPCの役職につく前から取り組んでいたことなのですが、国際交流・国際支援には以前からすごく興味がありました。

アジアパラで車いすラグビーが開催されたのは、2014年の仁川大会以来なのですが、アジアに参加国が足りなかった背景があります。仁川の参加国は4ヶ国でしたが、今大会は6ヶ国の参加を目指して準備を進めてきました。さかんな国は日本と韓国がメインだったので、何とかほかのアジア各国に対しても働きかけて、今大会で車いすラグビーを成立させたいという思いがありました。

日本も黎明期はオーストラリアやニュージーランドなどの諸外国から学ばせてもらって、少しずつ強くなってきた経緯があります。だからこそ、パリパラリンピックで世界一になった日本が、これからはアジアでの普及に対してリーダーシップを取る必要があると思いました。

そうした普及の結果で6ヶ国が集まり、今大会の車いすラグビーが成立。しかし、シンガポール・マレーシア・インドは辞退し、日本・韓国・タイの3ヶ国での戦いになりました。

(三阪)参加条件を満たした6ヶ国が一時集まったのですが、実際に国際総合大会への派遣の判断を握っているのは、各国のNPC(その国のパラリンピック委員会)なんですね。そこの派遣規定を満たさなければ、派遣されないということになります。最終的な判断の段階で、非常に難しい判断を下された国が3ヶ国あったということです。

私も今の立場だからわかりますけど、なかなかメダルの可能性がわからない団体競技に選手団を派遣するというのは、費用面も含めて、それなりに負担が大きいと思います。

一方で、6ヶ国が参加条件を満たしたというのは、一定の普及の成果も感じられますよね。

(三阪)もちろんです。ただ、これがゴールではないので、それぞれの国が自分たちの地域で大会を開催したり、少しずつ歩みを進めたりしていることに変わりはありません。この大会が終わった後に、車いすラグビーがアジアでどう進んでいくのかというところは、見ていきたいと思っています。

激しいぶつかり合いゆえ、高価かつ消耗しやすいラグ車。競技をスタートしやすい環境作りも大事だ 提供・AINAGOC

車いすラグビーはラグ車(競技車)が高価だったりと、選手としては最初は少しハードルが高いところもありますよね。

(三阪)これは日本でもまだ解決できていない課題ですが、新しく競技を始める選手が100万円、200万円という投資からスタートしなければいけないというのは、非常にハードルが高いです。

ただ今回の活動の中で、タイで車いすの製作・販売を行っている工場とのつながりができたんです。
日本からも、メカニックを中心にコミュニケーションを取り、何度も何度もタイに足を運んできました。今はタイ現地でラグ車を作れる状況になってきて、ニュージーランド製やアメリカ製のいわゆるハイエンドモデルのラグ車と比べると、安価で手に入れられるようになりました。
それが一つのきっかけになって、競技をスタートしやすい環境が整ってきたんです。

もちろん、ハイエンドモデルを使った方がパフォーマンスにはいい影響を与えそうですが、競技のレベルや環境に応じて、そういったスタートモデルを作っていくことも重要です。それが今回、各国がここまで歩みを進めてきてくれた大きな要因の一つになっていると思います。

アジアの各国が強くなってくれることで、また日本や世界のチームが成長できそうです。

(三阪)日本も世界のトップチームにぺちゃんこにされながら、経験を積み重ねていくというスタートでした。「自分たちに何が足りないのか、何が必要なのか、何を吸収しなければいけないのか」ということを考えながら、海外からコーチを招いたり、選手たちが独自に海外の強豪国へ武者修行に行ったりして、今があります。

現在アジアのいくつかの国では、トップレベルのコーチを招いてコーチングクリニックを実施しているとも聞いています。今大会に参加できなかったから、そこで終わりではない。今大会をきっかけに生まれたことをしっかり進めていきたいというのが伝わってきます。

2勝2敗とした日本。23日は韓国との決勝に臨む 提供・AINAGOC

今大会の車いすラグビーは、23日にいよいよ最終日です。見どころを教えてください。

(三阪)日本は若手主体で、自国開催という特別な大会を初めて経験をするという選手が頑張っています。緊張やミスもあるでしょうし、見ている人からすると、プレーがおぼつかないと感じる部分もあるかもしれません。でも、一生懸命戦う姿にも注目してもらいたいと思います。もちろん金メダルという目標を掲げていますので、間違いなくそこに向かっていってくれると思います。

韓国代表には、日本のクラブチームに所属する選手たちもいて、そういった彼らへの応援もあると聞いています。
(三阪)そこは日本の車いすラグビーが築き上げた一つのレガシーかなと思います。選手にとっても、普段のチームメイトとこうして違う場でまた会えるというのも、国際大会の魅力の一つだと思います。

これからは「シン・車いすラグビー」の時代の幕開けですね。

(三阪)そうですね。競技結果もそうですけど、競技の背景や、アジアで一歩ずつ車いすラグビーが進化しているということも、実感してもらえると嬉しいです。

プロフィール

三阪洋行(みさか・ひろゆき)

提供・JPC

高校生の時にラグビー練習中の事故で頸椎を損傷し、車いす生活となる。8ヶ月間の入院生活の後に車いすラグビーと出会い、 わずか4年後に最年少で日本代表に選出。 04年アテネ大会、08年北京大会、12年のロンドン大会と3大会連続でパラリンピックへ出場。
ロンドン大会では副主将を務め、4位入賞。引退後は日本代表のアシスタントコーチを務め、 リオリオ大会では日本初となる銅メダル獲得に貢献した。
23年、27年3月までの任期でアジア・パラリンピック委員会(APC)の理事とアスリート委員長就任。25年9月、日本パラリンピック委員会(JPC)の委員長に就任。自身の経験を生かし、障がい者への認識・理解を促進する活動に取り組んでいる。

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